尾花沢市の文化財についてのお知らせ
丹生川の支流にあたる中沢川に築かれている砂防施設が、地区の皆さんの熱心な活動と、県北村山河川砂防課のご尽力により、国の登録有形文化財(建造物)に登録されることとなりました。
尾花沢市内の登録文化財は、銀山温泉の能登屋旅館本館に続いて、2箇所目になります。
■どうして登録されたの?
中沢川の砂防施設は、大正2年に尾花沢はじめ山形県内を襲った未曾有の大水害をきっかけに造られました。工事のための現地調査が始まったのが、大正3年。完成したのは、大正9年のことでした。
県内で初の砂防施設であるとともに、堰堤の法面を急勾配で築いた砂防堰堤としては、全国的に見ても初期の事例として評価され、国の登録有形文化財として登録されることになりました。
なお、砂防施設(砂防ダム)とは、一般的なダムとは違い、土石流などの土砂災害を防止するために築かれた設備のことです。
■登録文化財ってなに?
厳密な保存のための「指定制度」よりも、考え方や規制がゆるやかで、「活用しながら保存する」という制度が、登録文化財制度です。日本では、平成8年に生まれた比較的新しい制度ですが、世界の多くの国ではすでに定着しており、文化財保存に大きな役割を果しています。
対象となるのは、建築後50年を経過した建造物で、広く親しまれているものや、デザインが優れているもの、後に多く作られるものの先駆けとなったものなどです。
■砂防工事はどのように進んだの?
県直営工事を現場で指導したのは、笹倉徳之丞という人物でした。笹倉は、山形県にくる前に、山梨県で河川改修に携わっていた人物でした。経験者を招いて、手腕を発揮してもらうことで、難工事を乗り越えようとしました。
工事には、地元の人々も多く関わりました。宮沢村(当時)からは、100人ほどの人夫が参加し、多忙な時期には、女性が作業に従事することもあったそうです。地元以外にも、玉野村(当時)や常盤村(当時)、さらには県外の人々もいて、中には富山県からやってきた人夫もいたようです。
使用する石材は、主に現場近くの岩盤を砕いて調達したようです。石工が石材を整え、作業人夫が「もっこ」を使って現場まで運搬するという日々が続きました。また、基礎固めに使用する木材も、近くの山林から切り出して調達しました。こうした作業は、機械ではなく、全て人の手によっておこなわれました。
県の砂防費は、年々増える傾向にありましたが、中沢川の砂防工事には、特に力がそそがれました。
※大正2年の水害や、中沢川の砂防工事については、来年2月下旬発刊予定の、『尾花沢市史』下巻で、詳しく叙述しています。ぜひ、ご覧下さい!!
